2012年05月20日

西川伸一・倉谷滋・上田泰己「生物のなかの時間―時計遺伝子から進化まで」


 知的興奮か困惑か。

 理化学研究所の副センター長・西川、グループディレクター・倉谷、プロジェクトリーダー・上田がざっくばらんに「生物とは」について語り合うわけです。年齢にして、60代、50代、30代の三者三様がしゃべくるわけですが、それはまるで理研のラウンジの迷いこんでしまったようで専門用語がバンバン飛び交います。

 一応、あとがきで倉谷さんが生命とは「時間の中で生まれ、紡がれ、伝えられていく情報」と定義しています。

 とにかくこれほどまでに読者を選ぶ本がPHP新書から出ていいのかと思うわけですが、出版社の采配か、かなりこまかく語句の注釈が本文(余白ではなく)に書かれているのでどうにか、いらいらせずに読み進めることができます。

 だからといって、すぐに興奮できるほど理解できるわけではなく、もうそれは困惑の渦に飲まれそうになります。その渦に飲まれるか乗れるかは読者次第といったところでしょうか。

 例えば、福岡伸一さんが打ち出した「動的平衡」というテーマを引っ張りだしてきて(p.25)、西川さんが「動的平衡的なものは生命とは無関係に、科学的にもつくりうる。つまり、動的平衡は生命にとっての一つの条件ではあっても、それが生命を語るための本質的なベースにはならないと思う」と言えば、上田さんは「議論自体、僕らの世代にとってはもうそれはあまり刺激的ではない」とばっさり切ってしまうわけです。この本と一緒にたまたま借りた「動的平衡」というタイトルの本、読むべきかな。。

 一点だけ、気に入らなかったのは、西川さんのわざとらしいというかあざとい感じの関西弁でしょうか。雰囲気を出すために残したのかもしれませんが、文章を読みにくくしています。本人も自覚があるのか後半になるとやや収まる傾向があります。
 
 上田さんといえば、時計遺伝子や体内時計の研究で日本を代表する研究者(p.73)なんですが、その人曰く、人間ではほとんどの器官の細胞で時計遺伝子が発現しているそう。ところが、男性の精巣だけではそれが見つからないそうです。上田さんも理由はわかっていないと答えるのですが、「どうりで男性の性欲ってのは時と場所を選ばないのか」なんて妙に納得してしまったりもするわけですが。。

 さらには立襟鞭毛虫が海綿になるのは、「七人の侍」だといったり、多細胞生物への進化は社会主義だと行ったり、天地創造の話が出てきて弥勒の話があって劫という時間概念が飛び出す。西川さんと倉谷さんはこの手の話が好きらしくよくそういう「文系的」例えば飛び出すんですが、上田さんはそういう話には興味が無いらしく「あれ?いる?」って思うくらい黙っている時間があります。

 ですので、自分が最も共感できるタイプの人間からこの鼎談を観察するっていうのも本書の楽しみ方の一つかもしれません。まあ問題は、共感できるほどの知識量を持った読み手となるとかなり限られるのかなと思いますが。

目次(一部抜粋)
第一章 生命とは何か?
     半分生きている存在 クマムシ
第二章 宇宙の時間
     生物進化でも、エントロピーは増大している
     「記憶」とエピジェネティックス
     情報を捨てるシステム
第三章 細胞の時間
     時計遺伝子の起源
     生物の時計は温度に依存してはいけない
     暗闇に生きる生物の時計
     時計をつくる
第四章 時間の発明
     生物が時間を必要とするようになった契機は?
第五章 発生の時間
     「後付け」にしないと複雑化できない
     胚はルールブックの「後付け部分」を読んでいない
第六章 形の時間・進化の時間
     淘汰がゲノムに書き込まれているはず!
     相互作用と共進化
     実験進化学はどこまで可能か?
第七章 脳の時間
     人間に言葉を教えるのは「構造」?
     子どもがまねをすることもゲノムに書かれている
     言語とDNA
     文字ができた最大の意味
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2012年04月25日

佐々木俊尚『キュレーションの時代―「つながり」の情報革命が始まる』


 まず本書の中心的問題であるはずの「キュレーター」とはなにかを、本書から拾って行きたいと思います。
「日本では博物館や美術館の「学芸員」の意味」「世界中にあるさまざまな芸術作品の情報を収集し、それらを借りてくるなどして集め、それらに一貫した何らかの意味を与えて、企画展としてなり立たせる仕事」p.210
「『作品を選び、それらを何らかの方法で他者に見せる場を生み出す行為』を通じて、アートをめぐる新たな意味や解釈、『物語』を作り出す語り手」p.211
「情報のノイズの海からあるコンテキストに沿って情報を拾い上げ、クチコミのようにしてソーシャルメディア上で流通させる行い」「情報を司る存在」p.211
「情報のノイズの海の中から、特定のコンテキストを付与することによって新たな情報を生み出す存在」p.241
「キュレーターの定義とは、収集し、選別し、そこに新たな意味やづけを与えて、共有すること」p.252


 いささか大量になりましたが「キュレーターってなに?」という質問の答を知りたい方はこれで十分かと思います。もう少し具体的に、あるいは詳しく知りたいい方は本書の第4章から読み始めることをお薦めします。

 最近の新書などの本は科学作文が浸透しているといいますか、最初に本の内容の目的を伝えて、主な概念の定義をして、最重要の仮説、あるいは主張・主題を伝えて、それを証明するためにこのような手順で本書をは進んでいきますよ、ということを書くのが一般的になっていると思うのです。

 しかし、この人は(あるいはこの本は?)いきなりエピソードではじめます。そしてずっとエピソードをだしてきます。それこそキュレーターの定義が第4章まで出てこないほどです。

 インターネットの「つながり」が情報のタコツボ化(好きな人どうしが集まる、あるいは欲しい情報のみにアクセスを可能にするから)を引き起こすのではなく、むしろセレンディピティの元になるという議論はなかなか秀逸だなと思いました。筆者いわく、インターネットは情報を引き出す場ではなく、人とつながる場となる。そしてつながった関係を通して情報がもたらされる。好きな人や友人をtwitterでフォローして、その人の思いもかけなかった趣味や体験に触れて、自分では到底検索しなかったであろう情報に触れるというのがこれに当たります。

 また、第1章、2章で展開されるマス消費とマスメディアの終焉と、消費が生むつながりとキュレーターというあらたなメディアの存在は考えさせるものがあります。いかに伝えるべき情報を伝えるべき人に伝えるかを論じたポイントは広告業界や、広報の仕事をされてらっしゃる方にはためになる話ではないでしょうか。詳しくは本書を読んでいただくとして、facebookやtwitterといったあらたなメディア(筆者の言葉で言えばプラットフォーム)を「マスメディア」として捉えてはいけない。複雑な人間関係のネットワークが張り巡らされた、つながりのメディアであるということ。facebookやtwitterに情報を流せばそれで広報はOKではない、ということが筆者の伝えたいことではないかと僕は理解しました。

 ただ、全体としてはエピソードに偏重しすぎて、議論がやや散漫になってしまった印象があります。また震災直前の出版ということもあってすこし議論が古いかなあという感じがします。それは筆者が時代を作る人間というよりは時代を先読みする人だからかもしれません。急速にテクノロジーが変化して、その一方で大きな事件や事故によって人々の思想やパラダイムががらっと変化してしまう、ある意味では危うく不安定な現代にあっては時代を先読みすることは困難で、自ら作ることでしか予測はできないのかもしれません。

 そうは言っても、学ぶことがないわけではありません。キュレーターが重要な役割を果たすことは今後も間違いありませんし、前述したように広告業界にお勤めの方はぜひ読んでいただいて自分の広告方法、広報方法を考えなおすきっかけにして頂ければと思います。「キュレーション」という言葉に引っかかった人は、第4章から読み始めれば、キュレーターの定義を手に入れることができると同時に「○章で述べたように」と逐一前の章への言及があるので気になったところだけ読むといいかもしれません。

目次(一部省略しています)
プロローグ ジョゼフ・ヨアキムの物語
第1章 無数のビオトープが生まれている
    「ジスモンチを日本に呼べないかな」
第2章 背伸び記号消費の終焉
    マス幻想に引きづられる映画業界 DVDバブルは来なかった 「アンビエント化」がバブルの背景に
    あった HMV渋谷が閉店に追い込まれた本当の理由
第3章 「視座にチェックインする」という新たなパラダイム
    「もっと新しい広告を!」 暗黙か、明示か チェックインはプライバシー不安を解消する
第4章 的外れな「タコツボ化」批判
第5章 私たちはグローバルな世界とつながっていく
    マスメディアが衰退し、多様な文化が発信される時代に 中間文化はすでに消滅した プラット
    フォームは文化の多様性を保護する
あとがき
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2012年04月17日

上田一生「ペンギンのしらべかた」


 そんなニッチな、、と思われるかもしれません。僕だってそう思います。Honzで紹介されていなければ、僕も読まなかったと思います。

 しかし、そこはさすがのペンギンです。なにかと面白いネタがあるのです。あるいは筆者のなせる技なのかもしれません。こんなニッチな本を執筆し、1988年に開催された第一回国際ペンギン会議に「ただ一人のアジア人」として参加し、BBCの番組の日本語版の制作にも関わったりしてらっしゃるのですが、ご職業な高校の先生なのです。だから素人に話すのが美味いのかもしれない。

 本書は、これまでのペンギン学によってわかってきた様々な知見を紹介しつつ、どのようにしてその知見が得られてきたのかについても紹介してくれています。とにかくネタが多い。

 例えば「エンペラーペンギンは564メートルもの深度に達し、27分36秒間も潜水することが(p.27)」できる、とか。ペンギンは、鳥ですからね!! 胴体の最も太いところで180ミリあるヒゲペンギンが水中で受ける水の抵抗力は、直径15ミリのコインを水中で動かすときの抵抗力と同じ、とか。

 ペンギンは、小さくて可愛いという印象をみなさんお持ちかもしれません。しかし、どうも半端無く食うらしいのです。ギャル曽根もびっくり。たとえば、世界中を合わせた人間の漁獲量は年間7000万トンらしいのですが(19990年代半ば)、それに対して、世界中のペンギンはなんと毎年2000万トンもの魚介類を消費しているそうです。人間の28%以上(!)なのです(p.39)。すっごい食べるのね。。

 しかしながらペンギンも楽ではなくて、カッショクペリカンは満腹で帰ってきた親鳥を驚かせ、食べ物を吐かせてそれを奪うらしい。オオトウゾクカモメ(名前からして!)やオオフルマカモメは、親鳥から餌をもらったばかりのヒナを驚かせて吐かせて、餌を奪うそうです。さらにサヤハシチドリは、親鳥が、ヒナへ餌を口移ししようとしているくちばしの間に、自分のくちばしを割り込ませて餌を奪うのだそうです。ちなみに、その時に奪いそこねた餌は人間が集めてペンギンが何を食べてるのかの研究に使うそうです。(p.43)

 ここだけ読むと、意外と人間は穏健なやり方で研究をしているなとおもわれるかもしれません。しかし、「ペンギンの胃の中に何がどれくらい詰まっているかを確認するために、いきなり解剖用のメスを取り出す研究者はもういない(p.41)」という記述からして、過去そして現在の研究方法は推して知るべしなわけです。気になったらぜひ本書を。

 他にも、どうやってつがいになるかを説明した箇所では、低音で長く歌えるペンギンがモテるとか、体が大きくてメタボなオスがモテるとか(この2つは相関関係にあるらしい)。もしペンギンパレードなんかで、オスが伸び上がって歩いているのを見たらそれは「どう?俺かっこいいでしょ」のアピールですからぜひ褒めてあげてください。また、エンペラーとキングペンギンは、首の後にあるパッチがモテポイントらしく、それを調べるために、研究者は塗ってみたりと、まあほんとにいろんなことをしています。p.84

 とにかく、この本をしっかり熟読して覚えればペンギン研究者になるための準備はもちろんのこと、そこまで専門的にやるつもりがなくても、ペンギン好きが集まる合コンでモテること間違い無いです!

 さーて、そんなニッチな合コンがどこにあるかをまず探す必要がありますね。。
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2012年04月11日

川島 直子, 福田 素子「「世界基準の授業」をつくれ―奇跡を生んだ創価大学経済学部IP」


 大学教員必読です!英語をとことん勉強したいと思っている人にも、その意欲を与えてくれる一書です。時事通信出版局刊。

 東京都八王子市にある、あまり知られていない私立大学。それが本書の舞台です。名前は創価大学。この本はその大学の経済学部が、いかに低迷期を乗り越え、世界基準の授業作りを目指し、それを実現していったかを描いた本なのです。

 バブル崩壊後、多くの大学が入学希望者を失う中、その傾向が特に強かったのが経済学部だそうです。本書の舞台である創価大学も例外ではなかったようです。さらには系列の高校の生徒からも、面接の際に志望理由を聞けば「行きたい学部に入れなかったので」「やりたいことがわからなかったので」と答えられる始末。「なんとなくダサくて、簡単に入れる学部」というレッテルを貼られた創価大学経済学部。そこの教員が考えた変革の道。それは「英語で経済学を教えよう」というものでした。

 そこから並々ならぬ苦労と努力があり、多くの学部長の手を経て、他の教員の反対に合い、他の学部からは白い目で見られ、それでも経済学部は変革を断行していったのです。普通、大学の学部長といえば、特に文系では「当たってしまった」「任期が終わるまでおとなしくしよう」と考える人が多いのではないでしょうか。その理由は、事務仕事や会議は異常に増えるし、その癖、給料は大して増えない。もちろん研究をする時間はなくなるといったところでしょうか。

 しかし、この大学の学部長は「なんとしても魅力ある学部に」「学生のために」「経済学部が大学全体を引っ張るんだ」「創立者にお答えしたい」との思いにあふれています。

 本書の中心的人物として、経済学を英語で教えるプログラム「インターナショナル・プログラム(IP)」のために博士号を取り立てで採用されたホンマ先生という人が登場します。博士号を取り立ての上、学生時代は出産育児をしながらなんとか学位をとたれたのがホンマ先生です。そのため、研究実績は決して華やかなものではなかったそうです。

 大学教員の採用基準というのはその人の研究実績と研究遂行能力によって決定されます。ホンマ先生はその基準に見合う人とはいえなかったようです。しかしながら学生時代から創価大学で教鞭をとっていたホンマ先生の教育力が買われ「IPには絶対ホンマ先生が必要だ」「研究ではなく、教育専門の先生がいてもいいじゃないか」ということでIPの立ち上げ段階からホンマ先生が常勤の教員として迎え入れられるのです。

 教育専門の教員を常勤として採用するというのは異例中の異例のことです。おそらくそのような採用基準を公式に設けている大学は他にはないでしょう。これの意味するところは、ホンマ先生には次の就職先はないということです。実際、IPでは大量の宿題が課されるようで、学生の大変さもさることながらそれを採点するホンマ先生の大変さは一般の大学教員からは想像もできないものではないかと思います。したがって研究をする時間は実際に全く無いでしょう。ちなみに付け加えておくならば研究を当たり前に求められる大学教員ですら、その多くは教育に時間を取られ自分の研究を遂行する時間は勤務時間中はほとんどありません。つまりホンマ先生と一般の大学教員の違いは、勤務時間外に研究する時間があるか、です。一般の大学教員は勤務時間外に研究をせざるをなく、ホンマ先生は勤務時間外も教育に時間をかけざるをえないわけです。

 一般の大学の採用基準はその人の研究能力と言いました。つまり研究をする時間が全くないホンマ先生は他の大学から採用してもらうための自分のキャリア形成をする時間がないのです。したがって、教育専門の教員を常勤で採用するということは、大学とホンマ先生の両者にある覚悟が求められるわけです。つまり、大学にはホンマ先生を教員として一生面倒見る(採用し続ける)覚悟。そしてホンマ先生には一教育者として創価大学でその職歴を全うするという覚悟です。

 これは創価大学という特殊な環境だから実現できることなのかもしれません。また「世界基準の大学」を作るにはこれほどの覚悟が求められるということなのかもしれません。

 このIPを受けた学生は実際に3年時に英語圏の大学に留学し、その大学の正課の授業でAをとる学生が続出しているそうです。また、英語でビジネスを遂行する能力を図るTOEICの試験(990点満点)では、700点では恥ずかしい、800点では威張れない、900点台を出してようやく、といった雰囲気を学部に作り出しているというからすごい。場所が場所なら700点台は明らかに胸を張っていい点数です。

 もちろん優秀な学生を作るだけでなく、そのIPからこぼれ落ちた学生たちを落ちこぼれさせない努力も他の教員たちによって成されているようです。大学内で自分の限界に挑戦し、たとえ挫折したとしてもその大学に残りながら新たな挑戦をまた開始できる環境というのは、教育上、また学生の人生にとってとても重要なものではないかと思います。「一度失敗したら終わり」という雰囲気の漂う日本に「そうじゃないんだ!なんどでも挑戦できるし必ず最後には勝利できるんだ!」という最も重要な教育を与えてくれる環境なのではないかと思います。

 とにかく、大学教員ならぜひ読んでいただきたい。また、これから英語を本気で学びたいと思っている人には、何が「本気」なのか、その意欲を教えてくれて、やり機を与えてくれる本ではないかと思います。
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2012年04月10日

石黒 浩「どうすれば「人」を創れるか アンドロイドになった私」


 本人もプロローグのなかで、「口の悪い連中は私を“マッドサイエンティスト”などと呼ぶこともある」と書いていますが、僕としては辛うじてマッドサイエンティストにとどまっているというのが、僕の印象です。

 というのも、著者は人間そっくりのアンドロイド「ジェミノイド(ふたご座を意味するGeminiともどきを意味するoidを合わせた造語)」を作ったことが有名になったのですが、その中の一つ、「ジェミノイドF」があまりにも美人すぎるのです。どうしてそこまで美人である必要があるのか。本人も研究上の理由を本の中で述べているのですが、「本人の願望じゃないのか」と思ってしまうのです。どうやら医療関係の方で、ロシア人のクウォーターらしいのです。そういうあまりにもリアルで美人なロボットを作ってしまうあたりを見ていると、「この人、変態じゃないよな」と心配になってしまうのです。

 そんな著者がマッドサイエンティストでとどまっている、と思う理由は美人のジェミノイドFだけでなく、著者本人にそっくりのジェミノイドも作っているのです。僕にとっての「マッドサイエンティスト」の定義は、「研究の手法がぶっ飛んでいて、他の人には理解されない」といったものです。自分にそっくりのロボットを作ってしまうなんて。そしてその目的が「自分とは何か」という問いを明らかにすることなんですから。ぶっ飛んでいると言わざるを得ない、いや、ぶっ飛んでいるといってもらえるだけ、まだ科学者な分、いいじゃないですか、と言いたくなってしまうのです。

 ただ、本文を読んでいると「やっぱり変態なのか」と思う箇所も出てきてしまう。例えばジェミノイドFのモデルにこんな質問をしています。
さらにFのモデルに聞いてみた。自分の裸体写真とこのMRIの画像のどちらが恥ずかしいかと。(中略)(Fのモデルは)裸体写真は人には見せられないが、MRIの画像は人に見せても平気だそうだ。(p.62)
自分のMRI画像は、無論、自分の裸体写真と比べれば、ほとんど恥ずかしくないのであるが、下半身など場所によっては、多少恥ずかしく思う部分がある。(p.75)


 ほかにも、著者の研究室にいる他の研究者のO君は「うまくいえないんですが、ジェミノイドFと一緒にいると、すごく愉しかったです」なんて言って、「顔を真っ赤に」していたらしいのです(p.130)。うーん、、この研究室、やっぱり変態の集まりなのか、と心配になってしまいます。

 もちろん、こういった記述は「自分とは何か」という問いに対して、アンドロイドとの関わりの中で浮かんできた答えや新たな問いの一部なわけです。それをわざわざ抜き書きしてきて「ひょっとしてこの人変態なのか?」なんて思うあたり、僕のほうがよっぽど変態なのかもしれません。そういう意味では著書の意図した「自分とは何か」について読者に考えさせる試みは成功しているのかもしれません。。

 その他の記述としては、アンドロイド製作過程で、アンドロイドが自分に一番似ていると思うのは髪型も服も着ていない時だといい、「自分」の認知はそういったしょっちゅう変わるものを削ぎ落とした形なのではないかとの洞察があります(p.77)。また、自分そっくりのアンドロイドを製作してから5年が経った時に、さすがに自分との差が目立ってきたので、自分を美容整形したなんてあたりは、やはりこの人、マッドサイエンティストだなと思わせる箇所もあります。

 変態とマッドサイエンティストの違いはある意味、紙一重かもしれませ。けどその差は同時にとても大きなものであると思います。変態はある一点で満足し、そこにとどまる。マッドサイエンティストは行動力があり、他の人が思いつかないようなことをどんどん実行し、そこから新たな疑問を手にし、さらに次の行動を起こしていく。また変態は他者への説明に力点を置きませんが、(マッド)サイエンティストは説明こそが重要な仕事です。そして誰にもわからないことをやっていながらより多くの人に理解してもらうバランス力と、実際に理解してもらい得る目的感を持っていることもサイエンティストとしての重要な要件でしょう。

 本書は全体としては著者がこれまで取り組んできた研究と現在取り組んでいる研究に触れながら、これから面白くなるかもしれない研究テーマ、これから明らかにされるべき疑問などを挙げています。

 ちなみにこの著者は2007年にCNNの「世界を変える8人の天才」の一人に選ばれており、映画、サロゲートのオープニングでは最先端のロボット研究者として自身のアンドロイドと共演しており、大阪大学の教授でもあり、研究者としての評価は内外を問わず文句なしに一流です。「自分とは何か」という問いに興味のある方、ロボット工学の分野やロボット-ヒューマンインタフェースの分野に進みたいと思っている方、そして変態と言われかねない領域でちゃんと一人前の研究者と呼ばれるにはどうすればいいのか悩んでいる方にはおすすめの一冊です。 

目次
第1章 日常活動型からアンドロイドへ
     究極の姿形は人間である
第2章 遠隔操作型アンドロイドを創る
     再び「女性」を創る
第3章 サロゲートの世界
     本当の自分
第4章 アンドロイドになる
     異性に惹かれるのは顔か、服や髪型か
第5章 ジェミノイドに適応する
     美人と役者は操作がうまい
第6章 ジェミノイドに恋をする
     ジェミノイドFを躊躇なく触れるか?
第7章 実体化するもう一人の自分
     人よりも人間らしい?
第8章 人を超えるアンドロイド
     自分よりも「私」をうまく操作する他人
第9章 人間がアンドロイドに近づく
     一体、どちらを修理すべきか? かなり似ている美容整形とアンドロイド製作
第10章 人間のミニマルデザイン「テレノイド」
     人間に見えるが、一切不要なものを持たない 本当の美人とは人の想像にゆだねられる
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2011年12月14日

シーナ・アイエンガー「選択の科学」



選択の科学を読みました。

 彼女の本質にはもちろん関係ないのですが、著者のアイエンガーは全盲なんですね。凄いなあと思います。

 日常的に誰しもが行っている「選択」という行為が我々にどのような影響を与えているのかを彼女自身の研究を交えて様々な観点から論じた研究です。

 アメリカでは選択肢が多いことは良いことだ、もっと言えば選択することは善だ、という考えが当然のように受け入れられていますが、アジアの人々にとってはむしろ重要他者によって選択をしてもらった方がしばしばいい結果を生むこと。

 また、自分の子どもが未熟児として誕生し、生存が危ぶまれ、例え一命を取り留めたとしても生涯にわたって寝たきりであると伝えられたとき。アメリカでは子どもの家族に決定権のすべてが委ねられ、フランスでは医者がどちらかの選択肢を促す。このときアジアの人だけではなく、フランスの人々もまた、医者が選択を示してくれることにある種の安堵を感じ、アメリカ人は生涯にわたって罪悪感を感じるという調査報告。

 さらには彼女を有名にしたジャムの研究では、24種類の中から好きなジャムを選ぶより、6種類の中から選んだ方が人は決断を下し、購入をするという実験結果。

 それでも人は選択肢があることを望むことをまた、彼女の研究は示しています。

 訳者あとがきが非常に簡潔にうまいこと彼女の本を要約しており、訳者も述べていますが、よくあるようなひとつの結論を多角的に述べるのではなく、「選択することそのものが人生」であるという彼女の考えどおり、選択にまつわるさまざまな結果がこの本で紹介されています。選択がないことは人を不満にし、選択があることは人を幸せにする。しかし多すぎる選択は人を惑わし、どちらの選択も不幸な結果を招くとき、人は選択を放棄することで安心をえる。また彼女の人生そのものが選択の連続でもあったのでしょう。

 最終講の最後の行にこうあります。「選択の全貌を明らかにすることはできないが、だからこそ選択には力が、神秘が、そして並外れた美しさが備わっているのだ」この彼女の謙虚さと「選択」という研究テーマを選択したことに対する確信が、この本をよくある一般向けの科学本の域を超え、さらにはすぐに使える便利なビジネス書の枠も超え、哲学、また芸術の議論を我々に見させるのだと感じた一書です。


目次(一部抜粋)
オリエンテーション 私が「選択」を研究テーマにした理由
第1講 選択は本能である
 なぜ満ち足りた環境にもかかわらず、動物園の動物の平均寿命は短いのか。なぜ、高ストレスのはずの社長の平均寿命は長いのか
第2講 集団のためか、個人のためか
 親族と宗教によって決められた結婚は不幸か。宗教、国家、体制の違いで人々の選択のしかたはどう変わるか
第3講 「強制」された選択
第4講 選択を左右するもの
第5講 選択は創られる
 ファッション業界は、色予測の専門家と契約をしている。
第6講 豊富な選択肢は必ずしも利益にならない
 ジャムの種類が多いほど売り上げは増えると人々は考えたのだが
第7講 選択の代償
 わが子の延命措置を施すか否か。その選択を自分でした場合と医者に委ねた場合との比較調査から考える
最終講 選択と偶然と運命の三元連立方程式
 岩を山頂に運び上げたとたんに転げ落ちるシジフォス。神の罰とされるその寓話で、しかしシジフォスの行為に本当に意味はないのだろうか。
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2011年12月13日

八代尚宏「新自由主義の復権 日本経済はなぜ停滞しているのか」



 本の帯には「最も嫌われる経済思想の逆襲」とある。また裏には「誤解をとき、ビジョンを示す」とある。

 著者は「今日本で最も嫌われている経済思想」である新自由主義とはなにかを説き、これから日本がすすむべき道を示しています。

 著者いわく、新自由主義とは一般に誤解されるような「市場原理主義」や「自由放任主義」ではなく、競争によって経済を活性化させ、新陳代謝を促しつつ、その競争が誰かの犠牲に基づかないように適切な保障を政府が提供していくという思想だそうです。

 本書の中で著者は小泉政権を支持する立場をとっています。小泉政権は市場を重視し競争を活性化させた意味で、格差を拡大した政権と批判されることがよくあるそうですが、その点の誤解についても解いていきます。例えば派遣法の改正によって非正規雇用者が増えたといわれていますが、非正規雇用が増えるトレンドは小泉政権前からあったものだし、派遣法の改正後も派遣社員が増えたということはほとんどないそうです。そもそも現在も非正規雇用者のなかで派遣社員が占める割合は1割程度らしく、「派遣社員によって格差が拡大した」、「雇用の安定が奪われた」という批判ははなはだ見当違いであると著者は述べています。

 その上で、小泉政権による「中途半端さ」を著者は批判し、小泉後の自民党内閣や民主党内閣のまずさを突いていきます。とくに民主党内閣によって規制が強化された派遣法は「自由な働き方を規制するもの」「派遣社員として働くくらいなら無職のほうがいい」と主張するようなものであるとの批判は痛烈です。さらにはこの政策は「すでに正規雇用にある立場の人を守る」ものであると著者は主張し、多くのほかの政策もまた既得権を守るために中途半端であったりむしろ弱者に厳しい政策になっているという主張が本書のあちらこちらに見られます。また多くの政策が生産者保護の観点であり消費者保護の観点は話題になることが少ない、というのも著者の視点であります。

 また著者は田中角栄政権も批判しておりその政権による「地域の均衡ある発展」政策によって、採算の取れない道路が大量に作られ、「「大都市を住みやすくすれば、ますます人口が集中する」という懸念から、混雑する道路や鉄道は今日に至るまで十分に整備されていない」という著者の主張は目からうろこでした。またそれに対して都市をさらに住みやすくして地方から都市へ人口をさらに流入させ、環境の保護、消費電力の削減という「コンパクトシティー」の発想は初めて聞いた発想でした。

 ほかにも「市場の行き過ぎによる環境破壊」といった「市場の失敗」に対し、「市場規制、あるいは市場保護の行き過ぎによる経済停滞」という「政府の失敗」についても新自由主義の観点から著者は述べています。象徴的な例としては、日本の自動車下位メーカーがアメリカのGMやフォードに買収されるのを防ぐために、日本の通産省がホンダやマツダといった当時の下位メーカーをトヨタと日産グループに統合してしまおうとしたものです。しかしホンダやマツダはふざけるなと、通産省の意向をつっぱね、日本の自動車産業界では長らく10社が競争を繰り広げていたそうです。結果は皆さんもご存じのとおり、競争が維持されたことで日本の自動車産業に世界に誇れるものとなり、長らく寡占体制だったアメリカの自動車産業は衰退の一途をたどっています。

 この事情を知らないアメリカの国際政治学者が”Because of MITI's industrial policies, Japanese automobile industry has developed”(通産省の産業政策ゆえに、日本の自動車産業は発展した)と言っているのに対して、小宮隆太郎が"Despite of MITI, Japanse automobile industry has developed"(通産省の存在にもかかわらず、日本の自動車産業は発展した)と応答したという話は痛快そのものの例でしょう。

 本の途中で、市場主義は平家の頃からの日本の伝統であるから、市場主義にすれば日本はうまくいくというような著者の主張は、読者を意味のない論理で説得しようとしているという意味でただあざとく、もったいない点であるなとは思います。

 そういった点を差し置いても、多くの観点でデータを見せつつ、市場主義の有用性を訴えていく論理は説得されるものがあります。
 とくに「おわりに」で著者が「政治の混乱を招いている大きな要因のひとつは、民主党の首相が、自らの政策実現のために、小泉政権時代に重視された諸制度を、その代わりになる仕組みもないまま、あえて活用しないことにある」と述べているのは大いにうなずく点です。特に最後の「その代わりになる仕組みもないまま、あえて活用しないことにある」という点です。

 この本を読んですぐに「そうだ新自由主義でいこう」とまでは思いませんが、少なくとも今までよく知らなかった経済思想について知ることには大きな価値があります。まして思想を持たずに政策を実行したり、政策を評価することは困難であるだけでなく、危険ですらあるでしょう。巻末にはTPP参加賛成の立場と震災復興における経済政策についても論じています。今読んでおいて損のない一冊でしょう。


目次(一部抜粋)
第1章 新自由主義の思想とは何か
   1 基本的な考え方
   2 市場と政府の役割分担
     談合は必要悪か 環境問題にも市場を活用
第2章 資本主義の終焉?
   1 サブプライム・ローン問題の本質
     「100年の一度」は大げさ
   2 効率的な金融市場規制とは
第3章 市場主義は日本の伝統
   1 平清盛から「天下の台所」まで
   2 1940年体制と1970年体制
   3 分裂国家日本
     貿易自由化は「アメリカの圧力」?
     国際主義と国内開発主義との対立 
第4章 小泉改革で格差は拡大したか
   1 所得格差拡大の真相
   2 規制緩和への誤解
     派遣法の規制緩和への誤解
     タクシー参入規制は保護貿易
     司法試験改革の理想と現実
第5章 小泉改革は「行きすぎ」だったか
   1 郵政民営化の明暗
   2 進まなかった地方分権化
   3 構造改革特区
   4 財政再建はなぜ成功しなかったのか
第6章 社会保障改革
   1 年金制度は何のためにあるか
     税方式にすれば大幅な増税が必要?
   2 質の高い医療
第7章 労働市場改革
   1 雇用格差を縮小する方法
   2 新卒一括採用、定年制という悪習
     人材ビジネスを成長産業に
   3 女性が活きるために
     ワーク・ライフ・バランスはなぜ実現できないか
第8章 新産業の可能性 
   1 コメを輸出産業に
     コメの可能性 農業の活性化のために
   2 医療・介護・保育をサービス産業に
   3 都市の再開発とコンパクト・シティー
     シャッター商店街は「商売放棄地」 混雑料金
終章 震災復興とTPP
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2011年01月02日

村上春樹「1Q84 BOOK1 4月−6月」



 発売からずいぶん時間が経ちましたがようやく村上春樹さんの1Q84のBOOK1を読みました。まだBOOK1なので、とくにこれといった感想はありません。なんというか本の後半でようやく物語が始まったという感じです。稀代のストーリーテラーという感じはまだ受けていません。BOOK1のどの辺が良かったか、読んだ方は教えてほしいです。

 とりあえず人物評だけやっておきたいと思います。

天呉
 できるかぎり世界に対してコミットメントしないでおこうとする村上作品の典型的な登場人物。しかしながら他の人に対してできる限り率直であろうとするために物事に巻き込まれざるを得ない。高校時代に柔道をやっていて、怪我した一時だけティンパニーを練習し大きな才能を見せる。高校の吹奏楽部でヤナーチェクのシンフォニエッタを演奏する。予備校で数学を教えながら小説を書いている。まだ署名付の文章を出すにはいたっていない。

小松
 天呉の文章力を買っている編集者。文章からは小汚いずんぐりな男を感じるが、村上の説明によるとつねにシャツかポロシャツにジャケットを着てチノパンをはいている。ファッションに興味がないというよりは興味がないことを宣言しているように見える(村上の記述より)。天呉ほどではないものの身長は高くすらっとしている模様。文壇に衝撃を与えたいとの思いでふかえりが書いた「空気さなぎ」を天呉に書き直させて出版、ベストセラーとなる。

ふかえり
 小柄で髪が長くすらっとしていて、胸のラインがきれいと天呉にほめられる。17歳。空気さなぎの作者。読み書き、会話が苦手でひとつ以上の文章を離すことはほとんどないが、頭は良い模様。恋とは違う種類の好意、あるいは信頼を天呉に示している。村上作品では子どもが登場することが定番となっているがこれほど積極性、自主性のない子どもの登場人物は珍しい。が、今後の話の中で大きな役割を果たすことになりそう。

青豆
 天呉のストーリーと交互に出てくるストーリーのもう一人の主人公。女性。麻布の柳屋敷の老婦人に依頼を受けて女性に暴力を振るう男の暗殺を行っている。普段はジムのインストラクターをしている。他者と深くかかわり合うことを避けているが人が嫌いというわけではない。運動神経抜群。コミットメントもオミッションもない村上作品の登場人物としてはやや珍しいタイプか。

老婦人
 株式等で増やした莫大な資金を抱えている模様。女性に暴力を振るう男性を強く嫌悪し、憎んでいる。青豆にそういった男を「別の世界に送る」手伝いを依頼している。暴力を受けた女性を保護するための施設を自前で所有している。世界に対して非常に強いコミットメントを持っている村上作品にはやはり珍しい登場人物。BOOK2で、登場回数は減るかもしれないが、物語の中心となる「さきがけ」という宗教団体のなぞを解明する上で大きな役割を果たすことが予想される。


 できる限りネタばれのないように、また自分のメモのために書き残しておきます。


 以下はBOOK1のそれぞれの章のタイトル。それぞれのタイトルがそれぞれの章の中に必ず出てくるのも今作品の特徴となっています。

BOOK1<4月ー6月>
【目次】
第1章 (青豆)見かけにだまされないように
第2章 (天吾)ちょっとした別のアイディア
第3章 (青豆)変更されたいくつかの事実
第4章 (天吾)あなたがそれを望むのであれば
第5章 (青豆)専門的な技能と訓練が必要とされる職業
第6章 (天吾)我々はかなり遠くまで行くのだろうか?
第7章 (青豆)蝶を起こさないようにとても静かに
第8章 (天吾)知らないところに行って知らない誰かに会う
第9章 (青豆)風景が変わり、ルールが変わった
第10章 (天吾)本物の血が流れる実物の革命
第11章 (青豆)肉体こそが人間にとっての神殿である
第12章 (天吾)あなたの王国が私たちにもたらされますように
第13章 (青豆)生まれながらの被害者
第14章 (天吾)ほとんどの読者がこれまで目にしたことのないもの
第15章 (青豆)気球に錠をつけるみたいにしっかりと
第16章 (天吾)気に入ってもらえてとても嬉しい
第17章 (青豆)私たちが幸福になろうが不幸になろうが
第18章 (天吾)もうビッグ・ブラザーの出てくる幕はない
第19章 (青豆)秘密を分かち合う女たち
第20章 (天吾)気の毒なギリヤーク人
第21章 (青豆)どれほど遠いところに行こうと試みても
第22章 (天吾)時間がいびつなかたちをとって進み得ること
第23章 (青豆)これは何かの始まりに過ぎない
第24章 (天吾)ここではない世界であることの意味はどこにあるのだろう
(HMVレビューより引用[URL])
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2010年11月28日

フォーリン・アフェアーズ・リポート11月号



 R+さんからフォーリン・アフェアーズ・リポートの11月号を献本していただきました。

 世界の動向に関心を持っている方なら名前くらいは聞いたことがある(らしい)、極めて情報化の高い外交専門誌です。そのレベルはほぼ学術誌に近いものがあるでしょう。

 本当は今は非常に忙しいのでお断りしようかと思ったのですが、他でもないフォーリン・アフェアーズ・リポートの献本ですし、しかもレビューアーに選ばれたのが5名という、なんとも自尊心をくすぐる話だったのでお受けしました。

 もう少しこの専門誌について説明しておきます。これは1922年にニューヨークの外交問題評議会によって創刊されたものです。過去に、冷戦の理論的支柱とされたジョージ・ケナンの「X論文」や、冷戦の大きなパラダイムの1つを提供したサミュエル・ハンチントンの「文明の衝突」などの極めて重要な、時代を作ったともいえる論文を載せています。

 この11月号の内容をエディターのジョームズ・ホーグ・ジュニアの言葉を借りながらみていきたいと思います。まず今月号のテーマは三つに分けることが出来ます。

 一つ目は国家間そして人々の間のパワーバランスの変化、二つ目は切実な問題である気候変動、そして三つ目はアメリカの役割です。

 論文寄稿者の見方のいくつかをいくつか拾い上げると、
 「アジアの世界ステージへの復帰が時代を形づくる」
 「互いの利害認識の隔たりが広がっていくにつれて、アメリカと中国の亀裂は大きくなる」
 「気候変動を含む一連のグローバル・イシューへの国際協調は実現しそうにない」
 「(テロ集団を含む)非国家アクターが、弱体な国家で力を増していく」
 「市民にすぐれた教育を与える国が世界の経済競争で勝ち残る」

 残念ながらどれも悲観的な見方を呈示しているといわざるを得ないと思います。いや、だからこそどれも知るべき問題であるともいえるでしょう。そのなかでも特に日本の内政にまでかかわりを持つと考えられる「人口と教育」の問題に焦点を当てている記事をここでは取り上げないと思います。

 記事のタイトルは「新興国の少子化で世界経済の成長は減速する」。筆者はアメリカン・エンタープライズ研究所所属の政治経済学者、ニコラス・エバースタットです。

 筆者はまず20世紀の人口増加について取り上げます。公衆衛生の劇的な拡大と改善により、1900年から2000年までの100年の間に世界の平均寿命は30歳から65歳まで延び、人口は16億人から61億人へと増大しました。

 そして21世紀は出生率の低下が世界のトレンドになると主張します。日本を含む先進国の多くですでに人口減少が始まっていることが知られていますが、筆者はそのトレンドは新興国でも同様であるといいます。中国では一人っ子政策を超える少子化傾向が進んでおり、東アジア全域、東南アジア地域の多く、カリブ海周辺諸国、ラテンアメリカ地域、北アフリカから中東を経てアジアへと至る大イスラム地域、これら全ての地域で少子化傾向が出始めているといいます。まさに出生率の低下は世界中で今起こっている事態なのです。

 そして、出生率の低下はそのまま生産年齢人口の規模の縮小を意味し、また高齢化社会の出現を意味します。しかも出生率の低下の原因はわかっていません。
 また生産年齢人口の規模の縮小は消費支出の減少も同時に意味します。つまり、少ない人数で小さな経済を使って、たくさんの高齢者を支えなければいけない社会が世界規模で今後30年間の間にやってくることを意味するのです。

 より具体的に日本の例をみてみましょう。今後20年間で日本の若い労働力は約25%減少すると考えられています。若い労働力とは15歳から29歳の人々を指します。この人々がなぜ重要かというと、世界的に見て一般にこの世代は教育レベルが高く、最新技術の知識も持っているため経済成長に大きく貢献できると考えられています。また健康状態も良いと考えられ、高年齢層の50歳〜64歳と比べると就業意欲も高いと考えられます。

 今年の新卒採用率が57%程度であることを考えると、いっそ減った方がいいのでは?と考える方もいるかもしれません。しかし、若年労働力の就業率が低いということは、手にお金を持っている人が少ないことを意味し、消費が少ないことを意味します。消費が少なければ企業の収入は減り、ますます就業率は低下します。結果、経済は更に縮小するという負のスパイラルにすでに日本は片足、いやひょっとすると両足を突っ込んでいるのかもしれないのです。

 日本の若い労働力が今後20年間で25%減少する一方、中国では30%、約一億人が減少するといわれています。日本に比べて中国は特に地方において教育レベルが低く、公衆衛生の問題も抱えています。また一人っ子政策のため一般的な社会で男子103〜105人に対して女子100人という男女構成比率が、中国では男子120人に対して女子100人という状態になっているそうです。
 若年労働層の減少、経済の縮小、結婚難、そこから導き出される更なる人口減少。日本以上に今後成長が期待される新興国、中国の問題は深いように感じられます。

 これらの問題に対して筆者が挙げる解決は端的に言って次の二点。
 「教育の機会を拡大して人的資源の強化に務める」
 「人々の健康状態を改善し、世界の貴重な人的資源がより効率的により多くを生産できるような経済環境を作り出す」

 また筆者は特に低所得地域での教育の機会と質の改善が、地域、そしてグローバルな成長の見込みを大いに高めると論じています。
 先進国においても、高齢化する社会が、健康を維持しつつ年を重ねていけるようにすることが重要であり、引退年齢を超えて働くことに否定的な認識を変える必要があると主張します。

 
 まず一点。こういう話を聞くと「そこまでして経済は拡大しなければならないのか」という疑問を持つ方がいるかと思いますが、むしろ問題は「より少ない人数で現在の経済は維持できるか」ということです。経済は生産と消費によって支えられています。出生率の低下は生産力の低下と消費の減少を意味します。にもかかわらず、その少なくなった人々と経済によってより多くの高齢者を支えなければならないのです。したがって「経済の拡大」というよりも「維持」ができるかという問題すら危ういのです。

 その上で日本の問題を考えますと、まず筆者が見落としているのは教育レベルの低下です。国内においては今さら言うまでもありませんが、就活期間の長期化によって日本の大学教育の質の低下はかなり現実化しています。私が大学で持っている授業でもよく学生が「就活に行っていたのでこの前の授業の欠席は取り消して欲しい」と言ってきます。気持ちはよく分かりますが、それが学生のため、社会のため、国のため、世界のためになるのかは疑問です。

 人口減少の世界的トレンドは今や否定しがたき事実です。そして人口の問題は10年、20年の規模で津波のように我々の生活を襲います。今まさに手を打つ必要の問題です。20年後の世界を守るためにも今の教育とそれを取り巻く環境が非常に重要であることを改めて考えさせられる論文でした。
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2010年08月14日

海堂 尊「医学のたまご」


医学のたまご (ミステリーYA!)

医学のたまご (ミステリーYA!)

  • 作者: 海堂 尊
  • 出版社/メーカー: 理論社
  • 発売日: 2008/01/17
  • メディア: 単行本




 チーム・バチスタの栄光シリーズで人気の海堂 尊さんが書いた中高生向けの小説です。といっても、連載は日経メディカルという専門医が読む雑誌上で行われたそうです。

 主人公は中学一年生の男の子。要領はいいが成績は下のほう。彼の父親は世界的に有名なゲーム理論の研究者。ある日、学校で行われた潜在能力試験でそんな彼が全国一位の成績を取ってしまいます。彼の潜在能力が買われて、なんと大学の医学部で医学の研究をすることになってしまうのです。

 しかし彼が一位を取ったのは彼の潜在能力が優れていたわけではなく、その試験を作ったのが彼の父親であったため。その試験の内容や問題の解き方をつぶさに聞かされていたのです。

 周りにちやほやされ期待にこたえようとして、彼はそのからくりについては明かさずに周りの友人の力を借りてなんと、世紀の発見をしてしまいます。

 彼の能力を買った教授は大喜びでネイチャーに論文を掲載しようとします。しかし、その発見は追試(実験結果を再現すること)がされていませんでした。教授はそれは実験助手の責任だと無理難題を押し付け、とにかく成果を急ぎます。教授は真摯に真実を求める研究者どころか、金と名声と自分の地位が大事なだけの人間だったのです。彼はそんな教授に利用されていただけなのでした。

 やがて論文の不備を指摘され、彼は大学を追い出されそうになるのですが、彼の父親や周りに友人が彼を助けてくれて、事態をなんとか解決しようとするのですが。。。その顛末は本を読んでみてください。

 
 とんでもないことに少年が巻き込まれていくなかで、友人との付き合い方、大人との付き合い方、研究の重要性、難しさなどを身をもって学びながら成長していきます。

 また研究の現場についても垣間見せてくれます。

 筆者の海堂さんはあとがきの中で述べています。
医療は病気を治すことが最終目的ですが、それだけで成り立つほど単純なものではありません。病人を治せば医学研究なんてどうでもいいと考えるのは大きな間違い。研究という思考法を身につけないと、客観的な治療を行うセンスを獲得することは難しいからです。研究は公平な心で行わなければならない。藤田教授のような気持ちで研究をしては絶対にいけません。もっとも現実には、藤田教授みたいな医師は少ないのですが。


 中高生向けに書かれた本ではありますが、研究に向かう上での基本的な姿勢を改めて考えさせてくれます。


目次
第1章 「世界は呪文と魔方陣からできている」と、パパは言った。
第2章 「扉を開けたときには、勝負がついている」と、パパは言った。
第3章 「初めての場所でまず捜すべきは、身を隠す場所だ」と、パパは言った。
第4章 「エラーは気づいた瞬間に直すのが、最速で最良だ」と、パパは言った。
第5章 「ムダにはムダの意味がある」と、パパは言った。
第6章 「閉じた世界は必ず腐っていく」と、パパは言った。
第7章 「名前が立派なものほど、中身は空っぽ」と、藤田教授は言った。
第8章 「悪意と無能は区別がつかないし、つける必要もない」と、パパは言った。
第9章 「一度できた流れは、簡単には変わらない」と、パパは言った。
第10章 「世の中で一番大変なのは、ゴールの見えない我慢だ」と、パパは言った。
第11章 「心に飼っているサソリを解き放て」と、パパは言った。
第12章 「道は自分の目の前に広がっている」と、僕は言った。
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